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自炊にトライ

276 2012年11月18日
自炊にトライ
 自炊と言っても料理じゃ有りません。本の自炊です。本をスキャナを使ってデジタルデータに変換する方法です。
10月24日アマゾンのキンドルがついに日本に上陸しました。電子書籍元年と謳われた2010年から2年。そしてまもなくとサイト上に告知が出てから4ヵ月。やっとです。私は4、5前からキンドルに注目していました。アメリカバージョンも考えましたが日本版発売まで待っていました。さっそく、アマゾンに注文しましたが、手元に届くのは12月始めです。
 電子書籍リーダーは米国では「文字の大きさを自由に変えられるから」という理由で、特に視力に不安を持つ年長世代に好まれているそうです。私は、パソコンで良く長文を読みますが、じっくり読んだり保存しておきたい文もあり、この面で電子書籍リーダーは使えないかと思っていました。それと旅行する時に便利かと思っていました。
 時を同じくして、キンドルストアも開設されましたので、覗いてみましたが、価格は紙の書籍に比べて同じか、少し安い程度で期待していたほど安くありません。キンドルで読む方法として、自ら所有する書籍や雑誌をスキャナを使ってデジタルデータに変換する方法があり、「自炊」と称しているそうです。自炊代行業者も沢山ありましたが、著作権法に触れるということで激減し、それこそ個人で「自炊」する必要があります。
 その方法はネットに詳しく紹介されていますし、私もトライしましたので報告します。http://ushigyu.net/2012/09/05/what_is_jisui/
 この方法は自分で読みたい本を手間をかけ、コストを安くする方法です。
 道具としてスキャナーは必須です。私はScanSnap S1300を選択しました。文庫本300Pで15分位です。
 FJITSU ScanSnap S1300 20.000円
  毎分12枚・24面の読み取り速度を実現
  読み取るスピードの違い位で出来上がりの差は無い。
 FJITSU ScanSnap S1500 50,000円
  A4原稿を50枚までセット可能 毎分20枚・40面の高速読み取りを実現
 裁断機は使わず、カッターナイフとカッターマット、定規で行います。
 自炊の場合、本をスキャンしてPDF形式で保存します。つまり、映像として読み込まれており、キンドルで読むとき、文字の大きさから文庫本が最適で、新書までです。

本の自炊の手順
1 文庫本のカバーを外し、背表紙と裏表紙を手で剥がします。
2 本をカッターナイフで分割します。厚めの文庫本は4分割します。本の真ん中を押し開き、糊面にナイフを入れて切り開きます。分割して置くときれいにカットできます。
3 分割された物を端から4mm程度に定規を当てカッターナイフで切り落とします。コツは床で体重がかかるように立て膝で作業し、定規の端を足で固定すると真っ直ぐ切れます。最初は定規に沿うように軽く切り、切れ目が深くなったら体重をかけてゆっくり切ります。10往復程度で切れますので、裁断機を使わなくともきれいに切れます。
4 背表紙の糊が残って2枚がくっついた状態のページがないか、確認します。
5 スキャナの設定を行います。スキャンします。
 スキャナーは、紙の補給をする必要があります。手作業が好きな人は面白い作業となります。
6 読み取ったファイルをキンドルに最適なように加工するソフトがあり、自動余白カットや文字をくっきりさせることができます。
いきなりPDF for 自炊
http://www.sourcenext.com/product/pc/ikp/pc_ikp_000834/

 読みたい文庫本を古本屋(ネット通販あり)で見つけ、自宅で自炊する程度であれば、必ずしも裁断機は必要なく、ScanSnap S1300で可能です。
古本・中古本ネット通販 http://usedbook.ichiran.net/
ブックオフオンライン http://www.bookoffonline.co.jp/top/CSfTop.jsp        お気に入りリストに読みたい本を登録しておき、ある程度(送料が無料になる)溜まったら申し込む。
 電子書籍リーダーの販売競争は激しく、楽天はkoboをキンドルに先立って発売しました。そして、楽天カードのプレミアム会員にkoboを無料で配布しました。それが、ヤフーオークションで売られていると聞き、4000円弱で入札しました。キンドルがまだ届いていませんので比較はできませんが2台を使い分けていこうかと思っています。
 まもなく台湾に友人と自由旅行を行います。言葉の問題がありますが、台湾は漢字の国で発音は違いますが、文字は通じます。予め目的地や情報をkoboに入れておいて、メモ代わりに見せればスムースにいけるかと思い、今回トライしてみます。手軽な大きさで長時間使用でき、古本屋で購入した本を自炊して、さらにカットした本をオークションで売ることも出来ますので、暇なシニアには良い玩具になります。

天賦それは天から与えられたものである

233 2011年2月6日
天賦それは天から与えられたものである
ネットで面白い文章を見つけました。才能について書かれています。
自分は世のため人のために何をなしうるか、という問いを切実に引き受けるものだけが、才能の枯渇をまぬかれることができる。それが才能の死活の分岐点である。 内田樹

◆才能の枯渇について 2010年12月26日 内田樹
 天賦の才能というものがある。
自己努力の成果として獲得した知識や技術とは違う、「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」が人間にはある。「天賦」という言葉が示すように、それは天から与えられたものである。外部からの贈り物である。私たちは才能を「自分の中深くにあったものが発現した」というふうな言い方でとらえるけれど、それは正確ではない。才能は「贈り物」である。外来のもので、たまたま今は私の手元に預けられているだけである。
 それは一時的に私に負託され、それを「うまく」使うことが私に委ねられている。どう使うのが「うまく使う」ことであるかを私は自分で考えなければならない。
 私はそのように考えている。才能を「うまく使う」というのは、それから最大の利益を引き出すということではない。私がこれまで見聞きしてきた限りのことを申し上げると、才能は自己利益のために用いると失われる。
 「世のため人のため」に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる。そこまで内面化した才能はもう揺るがない。
でも、逆に天賦の才能をもっぱら自己利益のために使うと、才能はゆっくり目減りしてくる。才能を威信や名声や貨幣と交換していると、それはだんだんその人自身から「疎遠」なものとなってゆく。他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆく。
長く生きてきてそのことがわかった。

よく考えてみると、現在の私の食品衛生コンサルタントという仕事は、天賦のものではないか。そもそものきっかけはマガジンの218号「サルモネラ食中毒 何とかしなくちゃ」と思い行動を始めた時です。その時リスク情報をうまく伝える方法にFAXを利用する方法を思いついたのです。紙に印刷した物を普通通りFAXしたのでは受け手の紙面が汚くイラストも使えませんし、一枚づつFAXしていたのでは仕事になりません。
 以前パソコン通信のNIFTYの会議室に入っており、そこのOFF会に参加した時、パソコンに強い若い人にパソコンからFAXを出す方法を教わりFAXソフトを購入し、我が家のパソコンからはFAXが使えるようにしていました。その方法を利用して電話回線の都合上、保健所のパソコンから時間外に送信することにしました。当時、そのような方法は知られてなくOFF会で教えて貰わなかったらできなかったでしょう。これも、天賦「なんだか知らないけれど、できちゃうこと」なのでしょう。

 1995年秋にWindows 95が発売され、インターネットができる環境が整ってきたが、当時はインターネットができるパソコンは高価でした。私はABCキルトJAPANの事務局長をしていて、95年に日本財団の補助金がでることが決まりパソコン一式を購入することができました。ホームページを作成する名目の補助金ですから、なんとかホームページを立ち上げないといけませんが、当時、良いソフトも教えてくれる人もいません。インターネットに繋ぐのに苦労し、ホームページを作成するのにも大変でした。当時50歳でしたがやっと「できちゃった」のです。逆に個人でパソコンを購入したらできなかったでしょう。これも天賦のものなのでしょう。これでリスク情報を広く伝える手段を獲得しました。

 1998年から厚生労働省の認証制度である「総合衛生管理製造過程」が始まりました。その頃、HACCPについて学んで行こうと産業界、行政等が集まる「異業種交流会」が福岡で出来私も参加しました。そこで多くの人の意見を聞き、学び、交流したことが食品衛生コンサルタントの仕事に役立っています。これも積極的に参加することで天賦となったのでしょう。

 私自身は自分の仕事が「世のため人のため」に使っていると思っていますので結構上手くいっているのでしょう。

終戦記念日によせて 戦後の食料不足を忘れない

56 2003年8月15日
終戦記念日によせて 戦後の食料不足を忘れない
ララ物資の思い出
 平成15年の終戦記念日間近の8月11日にメールが来ました。世田谷区の稲田トシさんの小学1年の頃のお洋服にまつわるお話です。

ララ物資の思い出

 ララ物資の思い出というよりも わたくしにとりましてピンクのお洋服のルーツがここにあったのかと むねが熱くなる思いです。

 終戦当時、私は小学校の一年生でした。父の戦死により、伯母がご自分の着物を私たち家族に沢山くれました。それを長姉が弟妹たちのもんぺや上着にリニューアルをしてきせてくれました。お父さんが健在の家庭でも こうは行かない時でした。伯母の地味な柄の衣類をまとっていた少女時代、びっくりした出来事がありました。

 その姉が私にピンクのお洋服を縫って着せてくれたのです。これほどに嬉しいことがこれまでの人生に遭っただろうか。後にわかったことですが これはアメリカ人のパンツをリニューアルして作ったようです。ララ物資からの贈り物だったのです。

 パンツは股の部分が細かいメリヤス編みで二重になって、少し薄目のピンク色でした。ほかの部分は少し粗めの光沢のあるメリヤス編みで、少し濃いピンク色でした。股の部分とほかの部分のツートンカラーを利用してか、私の記憶は、その股の部分がお洋服の袖になり、袖の付け根からフリルになっておりました。ほかの部分が身ごろとなっていたのでしょう。このお洋服がのちにアメリカ人が身につけていたパンツと知って、アメリカ人はこんない素敵なパンツをはいているのだと思い。それ以来きれいな下着を着ることが夢となり過ごして参りました。その大きな偉大なゆめのルーツを知りたくて いつか調べようと思っておりました。ところがこのたび どうしても調べる理由があってインターネットを検索しましたら、先人達がご苦労されておられこのたびそのルーツを知ることが出来ました。あらためて、ララ物資への感謝の念をいだきます。

世田谷区 稲田トシ

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  ララ物資について
 現在50歳以上の人々はおそらく“ララ物資”と“ケア物資”を記憶しておられるのではなかろうか。戦後、食料品や医薬品そして日用品など、いろいろ不足していた時代に、腹を空かせ病に苦しむ日本の子供たちをはじめ多くの人々を救ってくれた救援物資である。

「ララ」は、LARAの呼称であろ。正確には"License Agency for Relief in Asia(「アジア救済連盟」)の頭文字である。太平洋戦争終結直後、日本人の約6人に1人はこの「ララ物資」の恩恵に浴した。にもかかわらず、日本の専門家の間でも、意外にこの事実は知られていない。まして一般国民の間ではほとんど知られていない。

 インターネットを使って調べて、「日系人の夜明け」という本をみつけました。
 長江先生から直接聞いた話では「ララ物資」を送ってくれたのはアメリカ人でも実は日系アメリカ人であり、その中心になっていたのは、盛岡出身の浅野七之助である。
 浅野七之助は太平洋戦争中に日系人が強制疎開などさせられ財産没収させられたので、アメリカ政府にかけあってようやく日系人の名誉回復させた人物であったということです
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