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台湾旅行記1 日本人の足跡を訪ねて

229 2010年12月5日
台湾旅行記1 日本人の足跡を訪ねて
 最近、日本の隣国でなにやらきな臭い動きが頻発しています。尖閣問題。中国は日本との対話姿勢などいっさい見せません。海上保安官が流出させたビデオによって、われわれは初めて事件の真相を知りました。ロシアのメドベージェフ大統領が国後島を訪問しました。北朝鮮の延坪(ヨンピョン)島砲撃。異常な国のやることだから真意はわかりません。中国、韓国、北朝鮮は反日教育を行っています。政策的なものが強くでて、日本人の考える歴史とは異なっており本当の事はわかりません。
 韓国と同時期に日本に併合された台湾は、日本に対する考えが韓国とは異なっているように思います。今回の旅は統治時代の日本人の足跡を通じて台湾の人がどのように日本を感じているのかを自分の目で見たいと企画しました。

 先ず向かったのは鳥山頭水庫です。日本ではあまり知られていませんが、鳥山頭水庫を作った「八田與一」という日本人技師のことは、台湾の教科書に記述されているそうです。台北空港から台湾高速鉄道(新幹線)で新嘉義まで行きました。車窓から見ると広大な田や畑が続いており、台湾の産業では農業が大きな位置を占めていることがわかります。農業には水が必要で、ダムは重要施設です。今日になっても、なお多くの台湾の農民の方々から深く敬愛されていることもわかります。
 台湾西南部に広がる平原には、嘉南大しゅうと呼ばれる潅潮用水路があり、大地を潤しています。水路の総延長は1万6000キロに及び、潅潮面積は15万ヘクタールといわれています。その水源となっているのが、鳥山頭水庫と呼ばれるダムです。貯水池の面積は1300ヘクタールあり、まさに「台湾南部の水ガメ」ともいうべき存在です。ちなみに、この工事は当時の日本領土内最大のもので、規模は愛知用水の2倍といわれました。

 ダムサイトに銅像があり、花束が供えられ、その後ろに八田夫妻のお墓があり、台湾の人に慕われていることがわかります。台湾では終戦後、国民党政府の手によって、日本にゆかりのある銅像や石碑が取り壊されました。しかし、この銅像は八田技師を慕う人々によっで守られてぎました。5月8日は八田技師の命日ですが、この日には毎年欠かさず供養祭が行われています。
 今も台湾の人々に慕われ、「台湾南部の父」とまで称えられる八田技師。台湾を愛し、使命感に燃えた一人の日本人技師の足跡です。
李登輝元総統の八田與一技師についての講話(草稿)
http://www.nomusan.com/~tabi/taiwan/corallake2004.05.08/index-corallake.html

 関子嶺温泉から高雄に行くのにもう1カ所寄るところがあります。朴子は嘉義県の西部にある小都市です。富安宮とメモを書いて運転手に渡したらすぐに行ってくれました。
 東石郷副瀬村の富安宮は日本人警察官を祀った廟です。「義愛公」と呼ばれるこの警察官は、1897(明治30)年にこの地へ赴任した森川清治郎巡査です。誠実な人柄で、人々にも慕われていましたが、税の減免を上司に伝えたところ、これが曲解されて免職処分を受けてしまいます。のちに巡査は身の潔白を晴らすべく自決してしまいましたが、死後も住民の夢枕に立って疫病などに対する指示を与えたと伝えられます。人々はこれに感謝し、この廟を建てたのだそうです。まさに知られざる日本と台湾の絆といえる存在です。
 全員に日本語版の「義愛公伝」時空を超えて息づく 森川清治郎 という冊子をいただきました
http://giaiko.atwebpages.com/index.html

 台北駅近くに228和平公園があります。私達が泊まったホテルの近くでしたので散歩しました。この辺りは日本の統治時代に建造された建物が残っています。
 この公園に日本統治時代に建てられた台湾最古の博物館があります。1949年、国民政府により「台湾省立博物館」と名づけられ、1999年に改めて「台湾国立博物館」と今の名前になりました。
 228和平公園に大量殺害の記念碑があります。大量殺害の記念碑と聞くと日本兵によるものと勘違いする人も多いでしょうが、この事件は戦後外省人によるものです。
 日本が戦争に敗れて台湾を去った後、中国大陸の毛沢東軍に追われた蒋介石率いる「中華民国」軍のべ200万人以上が、台湾に流入しました(この人たちを「外省人」といいます)。当時台湾の人口は約450万人(このようなもともと住んでた人たちを「本省人」といいます)、そこにやってきた外省人たちは、わがもの顔で町をねり歩いては好き勝手やり放題、経済状況はどんどん悪くなる、といった具合に本省人のウップンは日に日にたまっていったわけです。 1947年2月28日、ついに本省人の怒りを爆発させる事件が起こってしまいました。やみタバコを売っていた本省人の女性が外省人取締官に暴行を受け、それに抗議した群集の一人が射殺され、大規模なデモに発展。最終的に蒋介石による武力鎮圧によって、数万人ともいわれる犠牲者を出した228事件へと発展したのでした。

 台湾国立博物館は入場料20元で65歳以上のシニアは無料です。2階は「台湾的生物」と「台湾的先住民」のフロアです。そして3階ドームの部分に第4代台湾総督児玉源太郎氏と後藤新平民政長官の銅像がありました。
写真はわたしのブログにあります。食品衛生を考える
http://food.blog.so-net.ne.jp/
児玉源太郎氏と後藤新平氏については下記をみてください。
児玉源太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%90%E7%8E%89%E6%BA%90%E5%A4%AA%E9%83%8E
後藤新平
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E6%96%B0%E5%B9%B3

 今回訪問した3カ所に銅像がありました。蒋介石率いる「中華民国」軍は敵国の日本にゆかりのある銅像や石碑を取り壊わしを命じました。しかし、戒厳令下の台湾でこれらの銅像を守ってくれた人々がいました。地元の関係する農民や漁民、日本の統治に感謝している多くの人がいるという証明です。そして、台湾の多くの本省人の気持ちを象徴的に表していると感じました。

 台北の銀行で両替しているとき、隣の高齢者が京都に住んでいたと話しかけられ久しぶりに日本語を話せてうれしいと言ってくれましたし、烏来温泉行きのバスの中で私達に話しかけてきたお年寄りと食事を一緒にしてお話ししました。四重渓温泉を行くときの運転手さんは広島で働いていました。台北で喫茶店の隣の席で若い学生さんが日本語の勉強をしていたりと大変親日的な国です。
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