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終戦記念日によせて 戦後の食料不足を忘れない

56 2003年8月15日
終戦記念日によせて 戦後の食料不足を忘れない
ララ物資の思い出
 平成15年の終戦記念日間近の8月11日にメールが来ました。世田谷区の稲田トシさんの小学1年の頃のお洋服にまつわるお話です。

ララ物資の思い出

 ララ物資の思い出というよりも わたくしにとりましてピンクのお洋服のルーツがここにあったのかと むねが熱くなる思いです。

 終戦当時、私は小学校の一年生でした。父の戦死により、伯母がご自分の着物を私たち家族に沢山くれました。それを長姉が弟妹たちのもんぺや上着にリニューアルをしてきせてくれました。お父さんが健在の家庭でも こうは行かない時でした。伯母の地味な柄の衣類をまとっていた少女時代、びっくりした出来事がありました。

 その姉が私にピンクのお洋服を縫って着せてくれたのです。これほどに嬉しいことがこれまでの人生に遭っただろうか。後にわかったことですが これはアメリカ人のパンツをリニューアルして作ったようです。ララ物資からの贈り物だったのです。

 パンツは股の部分が細かいメリヤス編みで二重になって、少し薄目のピンク色でした。ほかの部分は少し粗めの光沢のあるメリヤス編みで、少し濃いピンク色でした。股の部分とほかの部分のツートンカラーを利用してか、私の記憶は、その股の部分がお洋服の袖になり、袖の付け根からフリルになっておりました。ほかの部分が身ごろとなっていたのでしょう。このお洋服がのちにアメリカ人が身につけていたパンツと知って、アメリカ人はこんない素敵なパンツをはいているのだと思い。それ以来きれいな下着を着ることが夢となり過ごして参りました。その大きな偉大なゆめのルーツを知りたくて いつか調べようと思っておりました。ところがこのたび どうしても調べる理由があってインターネットを検索しましたら、先人達がご苦労されておられこのたびそのルーツを知ることが出来ました。あらためて、ララ物資への感謝の念をいだきます。

世田谷区 稲田トシ

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  ララ物資について
 現在50歳以上の人々はおそらく“ララ物資”と“ケア物資”を記憶しておられるのではなかろうか。戦後、食料品や医薬品そして日用品など、いろいろ不足していた時代に、腹を空かせ病に苦しむ日本の子供たちをはじめ多くの人々を救ってくれた救援物資である。

「ララ」は、LARAの呼称であろ。正確には"License Agency for Relief in Asia(「アジア救済連盟」)の頭文字である。太平洋戦争終結直後、日本人の約6人に1人はこの「ララ物資」の恩恵に浴した。にもかかわらず、日本の専門家の間でも、意外にこの事実は知られていない。まして一般国民の間ではほとんど知られていない。

 インターネットを使って調べて、「日系人の夜明け」という本をみつけました。
 長江先生から直接聞いた話では「ララ物資」を送ってくれたのはアメリカ人でも実は日系アメリカ人であり、その中心になっていたのは、盛岡出身の浅野七之助である。
 浅野七之助は太平洋戦争中に日系人が強制疎開などさせられ財産没収させられたので、アメリカ政府にかけあってようやく日系人の名誉回復させた人物であったということです
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