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「竹林はるか遠く」を読んで

294 2013年8月18日
「竹林はるか遠く」を読んで
 ネットで紹介されていた「竹林はるか遠く」を読みました。
本書の著者ヨーコ・カワシマ・ワトキンズは、1933年青森で生まれた。生後6ヶ月で南満州鉄道(満鉄)に勤務する父に連れられ、家族で朝鮮北部の羅南(現在の北朝鮮・咸鏡北道清津市)に移住。朝鮮・咸鏡北道で11歳まで過ごす。1945年日本の敗戦が濃厚になると、母親と姉とともに避難を開始し、ソウルを経由して日本へ逃れる。離れ離れになった兄とも後に再会を果たす。帰国後、京都市内の女学校に入学。働きながら学問に励み卒業すると、京都の大学で英文学を学ぶ。卒業後、米軍基地で通訳として勤務していたが、結婚し渡米。アメリカの子供たちに日本文化を伝える活動をしていた。1976年になってヨーコは当時の逃避の詳細を兄に問い、その様子を1986年に本書にまとめた。
 川嶋擁子さんが真実を記した戦争ノンフィクションの傑作は、たちまち評判となり、米国内の中学校は副読本として採用。数多くの米国人の子供たちに親しまれている。
 そして1998年、川嶋擁子さんはボストン図書館が最も推奨する児童文学者にも選ばれた。「全国両親推薦賞」に続き、「全国英語教授協会推薦文学賞」など数々の賞が授けられる。
 終戦直後の朝鮮半島でやむことなく続いた蛮行の数々…『竹林はるか遠く』には、少女が目の当たりにした陰惨な歴史事実が、時に狂おしく、時に淡々と暴き出されている。まさに朝鮮の暗黒面だ。
 米国の児童が親しむノンフィクション作品に“異変”が起きたのは、2006年秋のことだった。ホ・ボウンという在米2世の朝鮮人少女が学校教材の『竹林はるか遠く』に抗議したのが始まりとされる

京城に来て五週間が経ったある日、好(姉)が深刻な事態を知らせた。「私たちは京城を出なければいけない。朝鮮人の男たちが、薮の中へ女の人たちを引きずって行くのを見たし、若い女性に乱暴しているのも見たわ」好は震えていた。
兄・淑世(ひでよ)の働いていた工場は朝鮮人の襲撃を受け、爆破された。 そこで淑世は、同僚が撲殺されるのを間近で見た。半島を単身南下する途中も、大勢の日本人が嬲り殺しにされる光景に出くわす。
 私がもっとも感激したのは、日本に引き上げてからの京都の女学校の生活です。引き上げ時に身を守るため頭を丸坊主にしていたのでとても髪がおかしかったので最初の紹介で皆に笑われ、その後も「ぼろっ切れ人形!そんな格好で学校にきて恥ずかしくないの」と言われても「恥ずかしい?どうして?」「授業料は払ってあるわ。私はこの学校にくる権利があるでしょう」私は、彼女たちがいかに世間知らずかを言ってやりたかった。どんなに勉強ができるかを見せてやろうと思った。彼女らを成績で打ちまかそう。今の私にとって成績だけが唯一の武器となっていた。
今、学校でいじめが問題となっています。極限の状況を生き延びて、さらに向上しようとするヨウコのたくましい生き様を学んで欲しいとおもいます。
朝鮮にも親切な人はいました、兄淑世が凍死しかかった時助けてくれたのは、38度線近くに住む金夫妻でした。日本人とわかると密告されて処分されますので、おいと偽って体調が良くなるまで置いてくれました。その後イムジン河を泳いでわたり、アメリカ統治の韓国に着きました。
やっと舞鶴にたどり着きヨーコの張り紙を見て京都に来て兄弟は再会を果たしました。涙がこぼれる感動の場面です。

 私は終戦の1年半前の昭和19年3月上海で生まれました。上海の共同租界で、近くに魯迅公園があります。2008年頃は、知恩院、西本願寺の建物が残っていました。私が生まれた住居もありました。ずっとそのまま使い続けていたのです。
境遇としては著者のヨーコさんと似ています。父が召集されて直ぐ、母は乳飲み子の私と3歳の兄を連れて上海から引き上げました。途中それなりに苦労はしたでしょうが終戦前で治安はまだ守られていて航路も確保されており、日本に無事引き上げました。しかし、上海から送った荷物は届きませんでした。終戦は母の実家の佐賀で迎えました。その後父が無事復員し小倉で生活を始めました。同級生や友達も満州や朝鮮から引き上げてきた人が多くいて、同様の話は良く聞かされていましたのでヨーコさんの話は本当の事だと素直に理解できました。襲ってきた相手が朝鮮人であったり、ソ連兵であったり中国人であったりするだけです。暗黒の時代です。
 私が小学生の頃、朝鮮戦争が始り、朝鮮に近い小倉は米軍の補給基地として多くの米兵が来ていました。当時私たちが住んでいたのは小倉駅に近く静かな寺町でした。そこに、レストランや洋画専門の映画館ができて、多くの米兵が女連れで来ていました。米軍相手のダンサーなどいう名目で募集に応じて集まった女性たちが、自由意志で売春していたのがいわゆるパンパンガールです。当時多くの日本人は仕事も無かったので、米軍キャンプに仕事を求めました。通訳やバンドマンやボイラーマン、家政婦としキャンプに出入りしていました。性を売る女性もいました。アメリカだって戦地では女性を求めています。
 従軍慰安婦はアメリカで性奴隷と表現されていますが、当時大卒の初任給が月収約20円の時代に、慰安婦は15倍に当たる月収300円以上で募集をかけられていました。そして多くの慰安婦は大金を稼いでいました。つまり、性奴隷でなく職業としての性産業従事者です。本人や親の意思で稼ぎにきており性奴隷ではありません。
 さらに、1965年通称日韓基本条約で、日本の韓国に対する莫大な経済協力、韓国の日本に対する一切の請求権の解決、それらに基づく関係正常化などの取り決めがあり、解決済みの問題です。また、日本統治時代の韓国で労働者を戦時徴用した日本企業に対する賠償支払いを命じた裁判の判決で日本企業の在韓資産に対する差し押さえの仮執行を認めており、原告側は判決確定前にも強制執行で日本企業の在韓資産を差し押さえることができます。韓国の司法は国と国との条約を無視して判決を下しています。
 米カリフォルニア州ロサンゼルス近郊グレンデール市の公園に従軍慰安婦像の設置をされました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130804-00010027-agora-pol
韓国は「売春輸出大国」? 日米豪中“遠征”女性10万人超
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120708/kor12070807000000-n1.htm
従軍慰安婦の真実
http://makizushi33.ninja-web.net/
 この記事をアメリカ人が読んでどう見るかです。「韓国人は昔も今も変らないなぁ」恥ずかしくないのでしょうか。
 性産業従事者は自分の意思でお金を稼ぐために働いたのです。しかし終戦直後の朝鮮半島でやむことなく続いた蛮行の数々…『竹林はるか遠く』には、少女が目の当たりにした陰惨な歴史事実が、時に狂おしく、時に淡々と暴き出されていいます。まさに朝鮮の暗黒面です。このことははっきり知っておくべきです。多くの日本人に『竹林はるか遠く』を読んで欲しいものです。

 では、日韓関係、日中関係を今後どうすれば良いのでしょう。両国とも過去の日本のまずい対応から反日を叫べば日本が折れて何とかしてくれると思っています。失業者が増えて生活が苦しくなると、注意をそらす為に反日を叫びます。経済が困った時の反日だのみです。相手せずの態度で臨めば良いのです。日本は経済を世界規模で考えていくことです。この影響は日本より韓国、中国の方が大きいのですから、日韓親善や日中親善を考えない事です。企業も静かに撤退すべきです。
 韓国から撤退するべきだという意見が世界中の大企業の幹部に蔓延 (株式日記と経済展望)
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu293.html
韓国・現代自 労組、スト実施を
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL4N0GE36P20130813
 このような記事は日本の偏向マスコミは伝えません。インターネットで知ることができます。韓国は約束を守らない無治国家です。やはり「中華世界」に回帰したと世界から見られています。現代は兵器による戦争でなくて経済戦争です。韓国人は火病(ファビョン)という韓国朝鮮人特有の文化病を持ち、冷静な考えができなくなり、韓国は自分で自分の首を絞めています。それらを世界に発信していけば良いのです。
 これからの日本は静かに韓国、中国と距離を置くことです。反日に乗じて投資を引き上げていくことです。一連の事件で中国、韓国の考えは変らないことがわかりました。逆に反日の火が消えそうになったらまきを投げ込めば良いのです。靖国参拝、竹島(独島)のアンケート調査、旭日旗などまきにはことかきません。
 日本の長い歴史を見ても元寇、朝鮮征伐、日韓併合と両国とうまく行った期間はありません。




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