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津波からの脱出

246 2011年8月21日
津波からの脱出
 先日、FSPROという外食産業のメーリングリストの仲間のオフ会で3月11日の東日本大震災で被害にあわれた宮城県石巻商工会議所青年部の副会長で、株式会社ノースジャパンツアーズ専務取締役の山田廣康氏お家族と食事をする機会を持ちました。
 山田廣康氏は世界ほやエキスポの仕掛け人の1人で昨年のエキスポに参加したfsproの水江さんと縁でお盆に鹿児島に行く途中、博多でオフ会を開催しました。
 2010年7月に宮城県石巻市で開催された「世界ほやエキスポ」は、宮城県が日本のほやの生産の80%を誇ることから、ほやをテーマとした大規模なイベントを行うことにより、三陸沿岸地域の水産資源の知名度をアップさせ、観光客を増やすことを目的として開催されました。残念ながら津波により三陸沿岸地域は壊滅的な被害を受けており、次回開催の目処はたってないそうです。
 写真を見てください。流されてきた列車の手前が問題の保育所です。根こそぎ無くなっています。
 2011年3月11日14時46分18秒に発生した東北地方太平洋沖地震は、日本の観測史上最大のマグニチュード9.0を記録しました。この地震により、場所によっては波高10メートル以上、最大遡上高38.9mにものぼる大津波が発生し、東北地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらしました
 山田様の家も流されました。幸いお家族4人は無事に助かりました。その様子を山田さまの奥様のお話を交えて書いてみます。飲みながらで記録を取ってなかったので不正確な所があります。
 「前日の3月10日地震があり津波警報も出されました。規模が小さく揺れも津波の波高も小さなものでした。我が家では津波の話しが出ました。避難の方法や避難場所とかの確認とか言ったきちんとした物でなく、こどもたちとの会話として、ごく簡単なものでした、三陸沿岸ですので、すでに津波の知識はありましたので、その程度の会話でも津波の危害について頭の隅に呼び起こすことが出来ていました。
 私は石巻の保育園に勤めていました。地震の直前空が真っ黒になり非常に不安を覚えました。やがて猛烈な揺れが始りました。今まで経験した地震と比べても強く、揺れが終わったと思ったら再度強烈な揺れが3.4回襲いました。地震の揺れが強く非常に長かったのを覚えています。
 揺れがある程度収まった時、多くの保育士さんは物の落下による被害を防ぐため子供たちに布団をかけて寝かせていました。あまりの恐怖で取りあえず地震の揺れの被害を防ぐのに精一杯で次の行動を予測してないのようでした。わたしは前日の会話を思い出し、「津波の避難」と大声で叫びました。すると我に返ったように保育士さんは動き出しました。子供たちを起こして、着替えさせジャンバーを着せて。赤ちゃんは2.3人づつ保育士さんがおんぶとだっこして、歩ける子供に靴を履かせて全員で歩いて高台にある避難場所である体育館をめざしました。外は雪道で滑るので難儀しました。お迎えに来たお母さんを含め100人以上の集団で山道を歩いて避難場所に到着しました。赤ちゃんもなんとなくみんな必死の雰囲気がわかったのか、日頃よく泣く子も神妙におとなしくしていました。保育所は海岸からわずか300mの場所にあり、大きな津波が来たらすぐ巻き込まれます。避難場所に着いたときは真っ黒の海水が直ぐ足元まで押し寄せてきておりました。まるで映画のCG画像のようでした。
 あの時私が津波の避難と大声で叫ばなければ避難が間に合わなかったかも知れないと思うとぞっとします。地震から津波が押し寄せるまで40分だったそうで、子供の多い集団では、迷いがあると逃げ遅れる可能性もあります。
 当日は雪が降っており、避難場所である体育館は暖房もなく、身体を寄せ合って、ブルーシートを風よけにしてひと晩過ごしました。
 私の子供2人は小学生で下校前でしたので、先生に引率されて無事避難所に到着しました。お父さんは会社で何とか避難していました。しかし、地震の後家に帰宅した社員数名が津波に巻き込まれ無くなりました。車に頼ると渋滞に巻き込まれて逃げ遅れています。保育所に置いてきた私の車は数キロ先に流されてぺしゃんこになっていました。家財道具も家も流され全て無くなりました。唯一、車に置いていた免許証が戻ってきて、その中に子供が小さな時の家族写真がありました。
 お話を聞いていて、危害を予め予測して対策を考える「危害分析」の思考が役にたつことです。大勢だとリーダーが的確な号令をかけないとバラバラの行動でまとまて迅速な行動ができません。危害を予め予測して次の行動を考えてないと的確な号令が出来ずに間にあわなかったかもしれません。地震から連想で津波を予測し、津波からの避難という対策をすばやく行うことができたのが100名以上の命を救ったことのなります。前日の会話が津波の危害を思い起こし頭の隅に止めていたものが実際の地震という危害の際に引き出され、「津波の避難」の大声になったのでしょう。ただ、お迎えに来た父兄と一緒に避難した子供は助かりましたが、父兄が連れて帰った子供が犠牲になりました。
このような境遇なのになぜこの家族は明るいのでしょう。この家族は逆境をはね除けるパワーを持っています。長男の句で東京駅に張り出されているそういです。

夢だけは
  壊されなかった
   大震災
はね除
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